石塚農園の歴史 昭和35年頃の経営は水田と葉たばこ養蚕であった。
石塚農園2代目の祖父、向かって左側の人
麦の収穫後の耕運機による耕運
昭和35年頃から耕運機が普及し始める。
蚕は家の中で飼育されていたがこの頃屋外で飼育された。
蚕の餌になる 桑の葉の収穫
陸稲の植え付け作業
葉たばこの播種 現地指導を受けている
ところ
葉たばこの生育状況
昭和35年ころ、水田の土つくりのため耕土培養組合が組織され、水田に客土が行なわれた。雪の降る前に車の入れる場所まで運び、雪が降ってからそりで水田の中まで運んだ。
雪が消えてから、客土した土を水田に散布した。
昔の農作業の写真


  これは、山形県長井市在住のカメラマン、小口昭氏の許可を得て紹介させていただくものです。

小口昭氏プロフィル

・昭和6年神奈川県横須賀市に生まれる。
・昭和26年長井村役場に勤務、広報を担当。
・昭和28年はじめてカメラを持つ。
・昭和29年町村合併で長井市役所勤務、広報担当
・昭和32年全国広報誌コンク-ルで入賞
・平成元年3月市役所退職
・現在長井カメラクラブ会長、全日本写真連盟関東本部委員。


足踏み脱穀機による稲の脱穀作業です。
牛(役畜)による水田の耕起作業、昔は牛や馬による畜力で田を耕した。いずれも昭和30年代
冬期間 雪の上でそりを利用して畜力で堆肥を水田に運んだ。
馬車で水を水田に、干ばつで水が不足、田へ馬車で水を運ぶ光景も見られた昭和33年

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これ以下は3代目石塚伊助が撮影したものです。